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文政 八年
イギリス、炭鉱の町で四四.三Kmの蒸気鉄道開業(世界最初)
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弘化 二年
土佐の漁師 中浜万次郎 漂流後アメリカ蒸気車に乗る
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嘉永 六年
ロシア船長崎に来航 蒸気車の模型持参
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嘉永 七年
アメリカ使節 ペリー 浦賀に来航 蒸気車模型贈りもの実験
江川太郎左ェ門 江戸城内で寄贈の模型車を運転(後模型車焼失) -
元治 二年
薩摩藩 ベルギーで鉄道車輛の制作見学、また鉄道計画(大阪―京都間)を目するも計画実現せず
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慶応 一年
イギリスのグラバー商会 長崎で蒸気車の運転を行う
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慶応 二年
フランス人 幕府に「江戸―横浜間」鉄道建設を勧誘するも幕府拒否
福沢諭吉、「西洋事情」を著わし 蒸気車を紹介 -
明治 二年
五月 東京―横浜間に乗合馬車開業(わが国ではじめて)
十一月 政府で「鉄道建設」の廟議決定 -
明治 三年
民部大蔵省に「鉄道掛」を設置
和泉要助の発明で人力車があらわれ、のち普及する -
明治 五年
江戸時代の交通拠点「伝馬所、助郷駅」廃止となる
九月十二日 わが国最初の鉄道開通(新橋―横浜 二九kmの陸蒸気)(汽笛一声の歌全国にひろがる…) -
明治 五年
十月 東京(千住)-宇都宮間の乗合馬車が開業(従来三日間の行程が十二時間に短縮される)
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明治 十四年
栃木県初めての鉄道施設出願(下野鉄道会社 阿久津―白河間)
十月 日本鉄道会社が設立される(以後鉄道建設が進む) -
明治 十六年
東京―福島間の往復人力車取扱営業協同組合ができ営業開始
(東京―宇都宮間 一円九十六銭、宇都宮に一新社ができる) -
明治 十八年
七月十六日 日本鉄道会社 大宮―宇都宮間(東北本線のはじめ)開通
宇都宮の白木屋、宇都宮駅で弁当、お茶等の立売営業
駅弁のはじめ、(弁当はゴマ塩ふりかけ梅干入りおにぎり二個とタクアン二切れ、竹皮で包んで金五銭なり) -
明治 十九年
六月十七日 栗橋の利根川鉄橋完成(中田停車場廃止)
十月一日 宇都宮―那須(西那須野)開通
この年から以後各地に私設鉄道会社の発起設立相次ぐ -
明治 二十年
七月十六日 日本鉄道会社線 黒磯―白河、白河―郡山間 開通
十二月十五日 // 郡山―仙台間 開通 -
明治 二十一年
五月二十二日 両毛鉄道 小山―足利間 開通(両毛線)
十一月十五日 // 足利―桐生間 開通 -
明治 二十二年
一月十六日 水戸鉄道 小山―水戸間(六六.九km)開通(水戸線)
十一月二十日 両毛鉄道 小山―前橋間 全通
この年 東海道の列車に便所をとりつける -
明治 二十三年
八月 日本鉄道 宇都宮―日光間 開通(日光線)
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明治 二十四年
九月一日 上野―青森間 全通(東北本線一日一回の直通列車)
十月二十八日 濃尾大地震(罹災者救恤品の無償輸送のじはじめ) -
明治 二十五年
日本鉄道会社 水戸鉄道会社を買収
制服改正(駅長助役の帽子小判形より大黒形に改める) -
明治 二十七年
幻の真岡線第一号 常野鉄道創立願が出される
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明治 二十八年
全国官設鉄道の線路名称統一(東海道信越線など・・・)
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明治 三十年
二月 宇都宮―片岡間 線路変更完成(岡本―氏家経由となる)
四月 常野鉄道会社創立される
(計画路線 川島―五所―真岡―益子―市羽―烏山
十月 犬の運賃改定(一頭につき二十銭ほか各種)
十一月 入場切符(入場券)発売される -
明治 三十一年
一月 関西鉄道で客車内電灯を設備(全国鉄道で最初)
六月 常野鉄道会社へ鉄道敷設免許状裁可 -
明治 三十二年
九月十日 常野鉄道起工式第一期工事(川島―真岡間)始まる
この年の末頃から経済不況にあい工事中止となる
十月七日 暴風雨のため東北本線列車箒川に転落(大事故) -
明治 三十四年
五月 山陽線全線開通
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明治 三十五年
五月 常野鉄道会社解散 真岡線の夢つぶれる(幻の真岡線第一号)
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明治 三十九年
東野鉄道(幻の真岡線第二号)登場
計画路線は前の常野鉄道と同じ(川島―真岡)
十二月 工事起工式(久下田) 一部着工に入る(工事跡現存)
○始発駅 川島が下館駅に変更となる
○十一月 日本鉄道は国有鉄道となる -
明治 四十一年
この頃から戦後(日露戦争)の経済不況で工事進捗せず
十二月 鉄道院官制交付(鉄道院時代に入る) -
明治 四十三年
第一工事(下館ー真岡)が挫折(幻の真岡線となる)
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明治 四十四年
三月 軽便鉄道補助法公布される
政府は七年間の「軽便鉄道施設方針」を打ち出し、その中で五つの予定線の中に「下館―真岡」線が含まれる
計画路線は「下館―折本―谷田貝―小橋―真岡」で一里毎に駅を置く計画(真岡線の登場)
十月 真岡線の工事各駅で始まる。工事順調に進捗
真岡駅の位置問題で、東西にもめたが西部案に結着、駅敷地三町歩、三千円(拠出負担 荒町千五百円 田町七百五十円 台町五百円 在部二百円) -
明治 四十五年
二月 「小橋駅」が「寺内駅」と改名することに決定
三月 真岡線の工事完了竣工検査、この工事は第一期工事として位置づけられ第二期工事(七井線)延長が論議される
四月一日 真岡線開通(下館―折本―久下田―寺内―真岡)各地で祝賀行事
第二期延長計画は二つの路線の方向が論議、鉄道当局が夫々踏査を実施する
一 真岡―七井―茂木―烏山へ結ぶ線
二 真岡―七井―宇都宮へ結ぶ線
結果
小貝川架橋があり路線変更説など出たが「真岡―西田井―益子―七井」路線に決定 -
大正 一年
十月 真岡で起工式工事に入る
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大正 二年
七月十一日 真岡七井線開通
この頃から茂木への延長が叫ばれるが、その中で次の三つの路線の方向が交錯して論議された 一 七井―茂木
二 七井―宇都宮
三 七井―烏山
上の中で茂木に結ぶ方向に結着八月に茂木軽便鉄道計画が具体的に登場する
◎河芳鉄道計画の登場
またこの時と同じくして七井線延長の形で、芳賀郡と河内郡を結ぶ
(真岡―七井―宇都宮)の「河芳鉄道」の動きが抬頭して来たが、鬼怒川架橋がネックとなり現実に至らず幻の河芳鉄道となった -
大正 三年
四月 茂木軽便鉄道施設の免許がおりる
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大正 四年
第一次大戦の影響で事業延期となる
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大正 七年
真岡に中根自動車株式会社創立され、真岡―宇都宮間定期バス運行
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大正 八年
一月 茂木軽便鉄道測量開始、九月工事に着手
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大正 九年
十二月十五日 七井―茂木間開通(真岡線全線開通)
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大正 十年
真岡自動車株式会社が設立され、真岡―宇都宮間定期バス運行(のち昭和七年東野に合併される)
○この頃から宇岩線(宇都宮―真岡―岩瀬)が論議され計画が登場してくるが、大正十二年の関東大震災で消滅していく(幻の真岡線第三号) -
大正 十年
○この頃 市宝線(市塙―祖母井―宝積寺)の計画が浮上してくるが昭和二年頃になってこの計画も夢となる(幻の真岡線第四号)
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大正 十二年
真岡駅構内に守鉄社建立 毎年四月十五日例祭を行う
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昭和 二年
中根自動車商会が、水橋廻り真岡―宇都宮間定期バス運行する
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昭和 四年
池田氏が真岡に初めて個人タクシー開業する
この頃再び宇岩線が筑波鉄道の延長の形で登場してくる(計画は第一期計画 岩瀬―真岡、第二期計画 真岡―宇都宮…で運動が 進められるがその後の経済不況で挫折 夢となる(幻の真岡線第五号) -
昭和 五年
十一月 真岡線の二等車(グリーン車)が廃止となる
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昭和 六年
この頃 宇真線(宇都宮と真岡を結ぶ鉄道計画)が登場してくるが、これは前の「宇岩線計画」の中に吸収されて消えていった
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昭和 八年
株式会社矢野自動車商会が真岡自動車株式会社中根自動車商会の両車を合併、台町に営業所を置き、宇都宮、下館、茂木等との間に定期バスを 運行(のちに、矢野自動車商会は、東野鉄道と提携して株式会社東野交通となる)
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昭和 六年
この頃 宇真線(宇都宮と真岡を結ぶ鉄道計画)が登場してくるが、これは前の「宇岩線計画」の中に吸収されて消えていった
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昭和 十一年
真岡線にガソリンカー走る
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昭和 十六年
真岡駅前にタクシー業(芳南交通)開業する
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昭和 十七年
所管変更で真岡線は宇都宮管理部所管となる
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昭和 十八年
株式会社芳賀通運が開業する
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昭和 二十五年
八月 所管替で真岡線は水戸管理部所管となる
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昭和 二十九年
三月 町村合併十月真岡市となる
二月 真岡線が全面気動車化運転実施(ディーゼルカー)
三月 東北日光線に快速ディーゼルカー登場する -
昭和 三十年
四月一日 無人駅が設置される(水戸線・東結城・小田林、真岡線に、北真岡・多田羅)
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昭和 三十三年
真岡線管理長が設置された
国鉄宇都宮民衆駅が落成開業する
九月 真岡線の折本、寺内、西田井の三駅の旅客、貨物のすべての業務を部外者に委託された -
昭和 三十四年
五月 宇都宮―黒磯間 電化完成運行開始
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昭和 三十五年
国鉄再建論議の中で真岡線廃止の計画があることが発表される
沿線市町で廃止反対存置運動がおこる(真岡市では五月真岡線廃止反対運動を展開) -
昭和 三十七年
十月 真岡線に準急「つくばね号」走る
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昭和 三十八年
一月 真岡線折本の手荷物、小荷物、貨物扱いを廃止
寺内、西田井駅の貨物扱いを廃止
二月 折本駅の駅務委託を解約 -
昭和 三十九年
真岡線管理長制度廃止される(十一月)
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昭和 四十二年
三月 水戸線電化される
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昭和 四十三年
五月 真岡線廃止反対市民大会開かれる
九月 国鉄諮問委員会で真岡線など廃止答申される(真岡線廃止反対期成同盟会結成され、反対署名運動始める)
十二月 真岡線廃止反対署名七万五千人集まり陳情運動展開 -
昭和 四十四年
三月 衆議院運輸委員会真岡線調査のため来真する
三月 第一回真岡市民号(伊豆半島めぐり)実施(六百四十名参加) -
昭和 四十五年
二月 第二回真岡市民号(箱根三浦半島めぐり)実施
三月 経営改善のため、折本、寺内、西田井の各駅が無人駅となり、七井、市塙の両駅が業務委託方式となる
三月 真岡線からSLが姿を消す
十一月 第三回真岡市民号(伊豆みかん狩り)実施 -
昭和 四十六年
十月 第四回真岡市民号(松島と蔵王めぐり)実施
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昭和 四十七年
十月 第五回真岡市民号(中尊寺・鳴子へ)実施
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昭和 四十八年
十月 第六回真岡市民号(佐渡の旅)八百二十三名参加
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昭和 四十九年
九月 第七回真岡市民号(十和田湖八幡平の旅)
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昭和 五十年
十月 第八回真岡市民号(北陸の旅)
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昭和 五十一年
九月 第九回真岡市民号(奈良京都の旅)
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昭和 五十二年
十一月 第十回真岡市民号(南紀白浜の旅)
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昭和 五十三年
十月 真岡線 益子、茂木間の貨物営業を廃止する
九月 第十一回真岡市民号(道南の旅) -
昭和 五十四年
六月 第十二回真岡市民号(北九州の旅)
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昭和 五十五年
二月 真岡線久下田駅貨物取引廃止及び業務を部外委託
六月 第十三回真岡市民号(小豆島、四国の旅) -
昭和 五十六年
九月 第十四回真岡市民号(南陸中八幡平の旅)
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昭和 五十七年
二月 真岡線、益子、茂木両駅の出札及び荷物フロント業務を外部委託
九月 第一五回真岡市民号(萩、津和野への旅) -
昭和 五十八年
五月 ミニ市民号「東京ディズニーランドへの旅」(五日・八日)
七月 ミニ市民号「東京ディズニーランドへの旅」(二十四日・三十日)
八月 ミニ市民号「東京社会科見学の旅」(二十四日)
九月 第一六回真岡市民号(越後路と出羽・庄内の旅)(一日~三日)
十一月 ミニ市民号「上野駅周辺の美術散歩の旅」(五日) -
昭和 五九年
二月 真岡線存続利用促進のためのシンポジウム開催(二十五日) 三月 ミニ市民号「東京ディズニーランドへの旅」(三十一日)
七月 「真岡線問題を考える」地域座談会を開催(二十三日~三十日)
一戸に一冊回数券購入運動始まる
十月 第十七回真岡市民号(信州・高山の旅)(十八日~二十日・二十二日~二十四日)
十二月 都市青年楽団の「真岡線を励ます会」で市内パレード(二日) -
昭和 六十年
四月 ミニ市民号「上野動物園と周辺自由見学の旅」(六日) 四月 第一回真岡線特定地方交通対策協議会が開かれる(十日)
六月 第二回真岡線特定地方交通対策協議会が開かれる(十一日)
七月 真岡線に上下六本の臨時列車増発(一日~十二月三十一日)
八月 ミニ市民号「横浜名所めぐり」(二十二日)
九月 ミニ市民号「つくば科学万博見学」(五日)
十月 第十八回真岡市民号(南九州の旅)(十七日~十九日・二十四日~二十六日)
十二月 第三回真岡線特定地方交通対策協議会が開かれ輸送密度2二千百十七人で同協議会が再び六ヵ月中断に(十日) -
昭和 六一年
七月 第四回真岡線特定地方交通対策協議会が開かれ昭和六三年度の輸送密度二千六百十五人で同協議会が三度目の六ヵ月中断に(十六日)
十月 市議会会見真岡線対策特別委員会で各地の第三セクター路線を視察(七日~十七日、三班編成)
十月 第十九回真岡市民号(沖縄の旅)(二十三日~二十五日)
十二月 真岡線沿線二市五町の首長、議長会議で真岡線を第三セクター方式へ転換を決定(六日)
一二月 第五回真岡線特定地方交通対策協議会が開かれ、第三セクター化に向けて同協議会の中断をとり止め、話し合い再開へ(二十二日) -
昭和 六二年
五月 真岡線運営協議会で新会社名「真岡鐵道株式会社」、路線名「真岡線」に決定(二十八日)
十月 第二十回真岡市民号(道東の旅に)二百八十人参加
十月 真岡鐵道株式会社創立総会・車輌デザイン・愛称も決まる(十二日) -
昭和 六三年
一月 真岡線の新車輌受渡式(十四日)
四月 JRさよなら列車に鉄道ファン殺到(十日)
四月 新生真岡線開業(十一日、記念事業などでにぎわう)
四月 真岡線駅伝に大会に六十五チーム参加(二十四日)
六月 真岡線沿線開発推進協議会が基本構想を発表(二十四日)
十月 第二十一回真岡市民号(シルクロード博と高野山の旅)(二日~五日)
真岡線の踏切改良工事始まる(十二日、市内は五ヵ所) -
平成 元年
三月 北山駅が開業(十一日)
一月 八日新元号「平成」施行される
六月 真岡鐵道のイベント列車第一弾「地酒列車」運行(二十四日)
八月 真岡線のレール交換はじまる平成三年度までに全面交換(八日)
十月 真岡鐵道が旅行業開業(五日) -
平成 二年
六月 真岡鐵道の時刻表一部改訂(十一日)
九月 真岡鐵道北真岡駅新設改良工事竣工式(二十三日) -
平成 三年
九月 真岡駅東西連絡跨線橋
九月十四日 川俣町よりSL到着